20201111|神戸大学にて

今日は、母校である神戸大学に行ってきました。実は来週月曜日、大学時代からお世話になっている大田美佐子先生の講義に講師として参加させて頂きます!大田先生は顔を合わせるその瞬間から対話が始まっていく、一緒に歩いている時も常に対話をしているユニークで素敵な先生です。

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オンラインではありますが、自分が学生ではなく、音楽家として足を運ぶことになるのは、この上なく嬉しいと同時に、身の引き締まる思いです。

個人と歴史との関わり方や音楽を記録・記述することなど、いま僕自身が掘り下げている即興も含めながら、等身大の感覚で臨めたらと思いますし、アーティストやクリエイターを目指している学生さんもいらっしゃると耳にしたので、お互いにとって刺激的な時間になれれば良いなぁと思います○

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昨年以来の打ち合わせで久しぶりのキャンパスでしたが、新しくなった校舎は時間が経ったことを教えてくれますし、あの時から自分は先に進めているのか?とじっと眺められているような気がしました。

ライブのお知らせ

来週末に開催される、100BANホールに縁のある4組のアーティストが集まる「100BAN音楽祭」に出演いたします!

http://www.100ban.jp/posts/20201107ongakusai/

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2017年に100BANホールさんに初めて出演して以来、様々な企画にトライさせて頂き、快く見守っていただいています。その度に、色々なことを話し合いながら、次の展開へと進んできました。そのような場所やコミュニティがあることは、一介の音楽家にとって、有難いことだと感じています○

会場でも配信でも楽しめるハイブリッド型音楽祭ということで、遠方でライブに来られない方やライブの日は難しいけれど違う日に楽しみたい、そんな方の為にも体験していただけるライブ配信アーカイブ配信がご用意されています。

いまコロナ禍によって加速している取り組みの一つにライブ配信があります。100BANホールの李祥太さんや録音技師の五島昭彦さんたちと共にいち早く取り組んできたこともあり、資金が潤沢にあるような大きな団体では無いにも関わらず、個人ならではの機動力とそれぞれの知恵や技術を反映した高いレベルのものにチャレンジできていると感じています。是非その高まりを感じて欲しいです○

とは言え、鑑賞する側にそれを体感する機会がなかったり、音楽の配信に対する距離感や反応はそれぞれです。もちろん企画・主催側の考えや表現する音楽の性質によっても受け取り方は変わってきます。

個人的なことではありますが、ジャンル分けに依らない音楽をピアノで即興演奏している僕がずっと想いを馳せているのは、生演奏で表現している者にとっての"配信(テクノロジー)との付き合い方"と"気持ちのありよう"です。

それは、決して生演奏の代わりではない、生演奏とは別の音空間である配信ならではの、配信でしか味わえない試みであると同時に、このまま音楽を奏で続けられるのか?という単純な問いでもあります。是非この葛藤へのトライも見届けて頂けたら幸いです😌

配信アーカイブは11月末まで残される予定で、ライブで見られない方を含め、誰でも見ることができます。また、チップを入れる瓶も用意されているので、お楽しみ頂いた分だけチップ(投げ銭)のご協力をよろしくお願いいたします。

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≡| 100BAN音楽祭 @ 100BANホール(兵庫・三宮)|≡

■出演

西島芳(vocal, piano)、Miki Hirose Jazz Orchestra、Shota Lee Big Band、日吉直行(piano)

■日時と時間

2020年11月7日(土)

開場12:00 開演(12:30~18:00 入退場可)

■会場

100BANホール(神戸市中央区江戸町100番地高砂ビル2F)

http://100ban.jp/

■チケット料金

一般¥4,000、学生¥2,000【合計50席限定】

■配信での視聴について

100BAN Hall YouTube Channel

https://www.youtube.com/channel/UCZcxw2xHV_7othIh6iUDpLg/

100BAN HallのYouTubeアカウントよりライブ&アーカイブ配信予定です。いろいろな方に広くお楽しみ頂けるよう、公開制限は設けませんが(アーカイブ配信も11/30(月)まで公開予定)、お楽しみ頂いた分だけ「投げ銭」へのご協力をお願い致します。

■ご予約・お問い合わせ

078-331-1728 / hall@100ban.jp (100BANホール)

20201027|耳のおはなし

最近、耳がうるさいんです。

この示唆的な言葉から始まる小さな冊子は、福岡県那珂川市のフリーペーパーZINE「cototoba」です。

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先日福岡でお会いした、お友達の坂口麻衣子さんや山内建佑くん達が制作されていて、10月には秋号が発刊されたようです。プロジェクト「こととば那珂川」については、こちら↓

https://www.facebook.com/656018594532058/

耳がうるさいことにまつわる文章から始まり、それに対して色々な方が「お悩み相談」的に文章を綴ったり、コラムを寄稿したり、オススメのCDを紹介したりするといった内容。

特に今回は、音楽専門のフリーペーパーでも無いのに、音にまつわる重要なテーマが身近な距離感のことばで表現され、素敵な挿絵と丁寧な想いで作られているところが好きな所です○

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初めは、「耳がうるさい = 耳の飽和感」のことかな?と思いましたが、読み進めていくうちに、どうやらこれは、その先にあるものの話をしているなと感じました。それは、僕にとっても、いま1番興味のある記述したいもののひとつです。

僕自身は日頃から演奏や制作で音をたくさん聴いているせいか、音を長時間聴き続ける体力はある方です。それでも、テレビの音や動画の音を流し「ながら」聴くことはかなり苦手で、ほとんどが静かな音の中で暮らしています。

しかし一歩外に出れば、自分の意思に関わらず、たくさんの音に囲まれることになります。自分にとって辛いと感じるほどの音の量を浴びてしまう時なんかには、身体に通す音と通さない音を選択したりするのですが、限界はあります。

特に最近は、SNSやオンラインでのやりとりが急激に増えたことに加えて、必要以上に大きい音に慣れている人や、小さい音を長時間聴くことができない人(何かが鳴っていないと安心できない人)に出会うこともかなり増えました。

その結果、「今日は何も聴きたくない〜」と言った感情や「耳がずっと鳴ってる気がする」ような感覚に陥ったりするのは、多くの現代人が感じたことがあるのではないでしょうか?

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耳というのは、ヒトにとって、お馴染みな器官です。耳を使って何をするかと言うと、音で距離や方向を判断したり、嬉しい・怒っているのような感情を読み取ったり、場合によっては次に鳴る音の予感や命の危険までも察することができます。

つまり、「きく」というアクションです。「きく」には、聴く、聞く、訊く、など、様々なものがあります。

何を「きく」のか。どんな音を身体に透すのか。

これは、特に今の時代の音楽家にとって、かなりの難問になってしまいました。もし「当たり障りの無い」「汚れの無いもの」だけをきいて作られた音楽があったとしたら、文字通り「何も残らない」ことになるでしょう。ここに、音楽家としてのチャレンジ、戒めがあります。

なにも、楽器の音だけが「音楽」ではありません。例えば、本を読むときに、絵を見るときに、音がなくとも「音を感じられるもの」に出逢う機会があったりします。

それが音楽を直接聴かなくても感じられる「音楽」、自分の身体の中に流れている「音楽」です。それらは"音が身体を透る"とはどういうことかを教えてくれます。

出来るならば、みんなが気付きやすい大きな音やあたりの良い声だけでなく、聴き逃してしまいそうなほど小さな音や少々捻じ曲がっていたとしても意志のある声があれば、是非過信をせずに、気に留めて拾ってみて下さい。

このご時世に足りないのは、そういった機微への配慮ですから。そして、その先に辿り着いたときには、きっとこう悩むでしょう。

最近、耳が静かなんです。

新しい問いの始まりです。

(個人的な余談:いわゆる爆音と呼ばれる音楽シーンやノイズの世界の中でも同じ話が想像されるので、表紙絵の中にある「I am tired of noise.」という訳は、個人的には「I am tired of the sound.」の方がしっくりきたりします。)

新しいCDが間もなくリリースされます!

『縁 ~enishi~』奏屋吉豊(かなでやきっと)

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もともと音楽教師としてインドネシアや鹿児島で教えてきた経験と、あえて学校の子供たちが吹いているプラスティック管のリコーダーを使って音楽の魅力を伝え続けている徳田豊志(リコーダー)と、ピアノの即興演奏で楽譜がある曲も無い曲も自在に行き来しながら、ご縁のある各地でありそうでなかった音楽を奏でる日吉直行(ピアノ)、そんな親子ほどの年齢が離れた、元教師と音楽家の異色ユニット「奏屋吉豊(かなでやきっと)」による意欲的なアルバムが完成しました!(既に土曜日に行われたホームライブでは、先行して販売しています。)

ここ3年以上にわたり、2人で鹿児島県内の小中学校を廻ってきました。その公演の中では、学校の教科書に載っている童謡や唱歌ジブリの音楽や往年のポップソングなどを中心に採り上げてきました。そこでは音楽に対する愛や歌心溢れるリコーダーの音と深い響きと即興的なピアノプレイやアレンジをかけ合わせた音楽が子供たちの前で繰り広げられており、この高まりをぜひ形に残したいということでアルバム制作に至りました。

録音・編集は、五島昭彦さん。
僕と徳田さんが出会うきっかけを作ってくださったのが五島さんで、2018年に作った2人のデモCD作りにも関わって頂いたご縁から、録音・編集という重要な仕事を担当していただきました。特に今回はみやまコンセールのホールの響きだけでなく、家の中で響く楽器の音(11曲目と12曲目)、庭にあるウインドチャイムの音(13曲目)、一歩学校に踏み入れると聴こえてくる子供たちの声(9曲目)やチャイムの音(10曲目)まで、様々なシチュエーションの音をまるまる収録していただきました〇

帯の文とライナーノート文は、谷川賢作さん。
徳田さんにとっても僕にとっても縁の一番深い音楽家であり、長くこのユニットを見守って頂いております。今回のCD制作にあたっても快く引き受けてくださいました〇

CDジャケット&デザインは、ナカガワ暢さん。
僕の作品作りではおなじみで、徳田さんがノンさんにお願いしたいという希望も重なり、お願いしました。「学校」という場所や今回のアルバムのような多様な音楽をノンさんの感性で表現して頂きました〇

ピアノ調律は、後野道弘さん。
徳田さんのおうちにあるスペース「M’s Space」のピアノの調律もされており、タッチ感・響きの感触も含めて、素晴らしいお仕事をしていただきました〇

そして、録音をさせて頂いたみやまコンセールさんとご紹介してくださった五代香織さん、学校での収音にご協力頂いた錦江小学校さんと大川校長先生、これまでの学校公演や鹿児島での活動で関わってくださった皆様など、僕と徳田さんのご縁の深い方々に関わって頂きました。改めて深い感謝と御礼を申し上げます。

どうぞ皆様、是非手に取って頂ければ幸いです😌

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『縁 ~enishi~』奏屋吉豊(かなでやきっと / 日吉直行×徳田豊志)

その昔、みんなみんな少年だった、少女だったんだ!忘れていた古き良き時代に、極上のリコーダーとピアノデュオが誘なう (文:谷川賢作

発売日:2020年10月23日(金)
発売元:瞑奏録音
定価:本体2000円+税

現在、発売元の瞑奏録音・TOKUDA企画それぞれ直接販売しています(手売り・郵送での販売)。また来週末より、鹿児島県にある音楽ショップ「十字屋」さんの2Fなどでも販売予定です。Amazon・全国のショップでの販売は2021年1月1日からです。

お問い合わせ:090-2505-7105(TOKUDA企画)/ meisourecord@gmail.com(瞑奏録音)

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■情報
リコーダー:徳田豊
ピアノ:日吉直行

録音:五島昭彦 (Time Machine Record)
調律:後野道弘

ライナーノート:谷川賢作
CDジャケット&イラスト:ナカガワ暢

レーベル:瞑奏録音
録音場所:霧島国際音楽ホール みやまコンセール
録音日:2020年3月25日、3月26日、7月8日

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■収録曲目
01. ゆりかごの歌 (作詞:北原白秋 / 作曲:草川信)
02. 糸 (作詞・作曲:中島みゆき)
03. 君をのせて (作詞:宮崎駿 / 作曲:久石譲)
04. 上を向いて歩こう (作詞:永六輔 / 作曲:中村八大)
05. 少年時代 (作詞・作曲:井上陽水)
06. 千の風になって (作詞:不詳 / 作曲:新井満)
07. 見上げてごらん夜の星を (作詞:永六輔 / 作曲:いずみたく)
08. ハナミズキ (作詞:一青窈 / 作曲:マシコタツロウ)
09. 久しぶり!元気だった? (録音場所:錦江小学校)
10. さよなら (録音場所:錦江小学校)
11. 旅立ちの日に (作詞:小嶋登 / 作曲:坂本浩美)
12. ひこうき雲 (作詞・作曲: 荒井由実)
13. ゆらぐ (録音場所:M's Space)
14. tobali to hibari (作曲:日吉直行)
15. 七つの子 (作詞:野口雨情 / 作曲:本居長世)
16. 芭蕉布 (作詞:吉川安一 / 作曲:普久原恒勇)
17. 赤とんぼ (作詞:三木露風 / 作曲:山田耕筰)
18. BENGAWAN SOLO (作詞・作曲:Gesang Martohartono)
19. 瑠璃色の地球 (作詞:松本隆 / 作曲:平井夏美)
全19曲

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■プロフィール
Naoyuki Hiyoshi|日吉 直行

『皆さん、要注意です。柔和な頼りなさそうなこの顔にだまされないでください。この男、いったん弾かせると「おぬしなかなかの使い手 油断ならぬな」に豹変します。』谷川賢作

楽家。1986年7月30日、宮崎県延岡市生まれ。現在は兵庫県神戸市在住。ピアノの即興演奏から紡がれた枠に囚われない自由な発想と音遣いは、作曲との境目を漂いながら、”ありそうでなかった音楽”を奏でる。
神戸大学発達科学部人間表現学科・同大学院を卒業後、御縁のある各地に拠点を構え、ライブ演奏や即興演奏を駆使した結婚式演奏、小・中学校での公演などの演奏活動の傍ら、作編曲や映像音楽の制作といった創作活動のほか、音楽について教えることや言葉にすることなどにも積極的に取り組んでいる。
最近は、生演奏とライブ配信の両立を目指した音楽表現の追求や絵画・絵本などとの共同企画、対談企画などの音楽を飛び越えた様々なフィールドで探求している。

Toyoshi Tokuda|徳田豊

鹿児島県の小学校で主に音楽教諭として32年間勤務し,55歳で早期退職する。途中,日本人学校教諭としてインドネシアジャカルタで3年間勤務する。九州音楽教育研究会理事長,鹿児島県音楽教育連盟理事長,鹿児島県学校合唱教育研究会副会長などを歴任。
退職後,「TOKUDA企画」を設立し,詩人の谷川俊太郎氏やジャズピアニストの谷川賢作氏,フォークシンガーの小室等氏をはじめ,関東・関西に在住する多くの音楽家を招いてコンサートやライブ等を企画・運営している。
また自らもリコーダー奏者として,神戸市在住のピアニスト日吉直行氏とともに学校公演を精力的に展開している。公演で使用するリコーダーは,子供たちがかねて吹いているプラ管を使い,音色の目標になるように努めている。今回のCD制作時の演奏もプラ管のみを使用している。その他 鹿児島市の公民館講座講師や,学校への音楽指導等にも積極的に取り組んでいる。鹿児島市在住。

20201013|冬に答える

慌ただしさにかまかけて、久しぶりの投稿になってしまいましたが、今日から日曜まで九州に滞在しています。

本日は福岡にて。また、福岡もゆっくり滞在したいと思っています。

昨年のトリオ彗平線のライブのツアータイトルと渡り鳥をテーマにした音楽を表した言葉たち、本の選書など重要な仕事に関わって頂いた麻衣子さんと、その時にライブをお手伝いしてくださった音楽を知る人 山内くん。麻衣子さんのお腹にはお子様がいて、山内くんは忍者のように現れました。

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そして、僕の大好きな目黒実さんと荒井良二さんとの絵本「鳥たちは空を飛ぶ」の装丁を担当されており、今回やっとお会いすることができた山下麻里さん。今日の麻里さんのいでたちは、真夏からやって来た人みたいでした。

この御三方に、この冬から始まる僕のピアノソロの企画と制作に深く関わって頂くことになりました!一緒に作品作りが出来るのが、とても嬉しいです〜。

今日の僕はスロースターターで、それこそ麻衣子さんにお尻を叩かれながらでしたが(笑)、これから始まる企画について、一日中みなさんとお話できて心から楽しかったです○

さて、これから鹿児島入りです。沢山のお知らせが待っていますが、まずは明日から始まる徳田さんとの小学校での演奏公演、ホームライブまで走り抜けます!

20200925|雨の余呉

木曜から京都に滞在しているのですが、今日は歌い手の木原鮎子さんとの音合わせのため、彼女の住まれている滋賀県の本当に北の方にある町 余呉へ行ってきました。

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京都から電車で1時間半くらい。関西の都市部から風景がガラリと変わっていくのを横目にしながら到着。ここには余呉湖という湖があり、雨の余呉湖はとても風情がありました。

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午前中の音合わせ場所は、『弥吉』という古民家。今はあまり使われていないようでしたが、実はここは先輩 谷川賢作さんとご縁が深いところで、ここで録音された音源もCDになったりしています。弥吉の持ち主さんも、鮎子さんに栗を渡しながら、谷川俊太郎さんと賢作さんの話をしてくれたりしました。歴史を感じたなぁ。

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弥吉には、アップライトピアノがありました。ぱっと触れた時に良い印象があって、古いけれど音はしっかりしたもの。とりあえずいつものように蓋を外しまくって、風通し。あゆこさんも置いてあるスピーカーにマイクを繋げられるのに、生声で。感性、素晴らし。雨の音も隙間からかなり聴こえてくるので、一緒にセッション。午前中は、ここでじっくり音合わせをしました。

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お昼を挟んで、午後はなんとホールで音合わせ。まさかホールで、しかもフルコンだったのでびっくりしてしまいましたが、ここでもあゆこさんは生声でした。しかも声量負けない所がもっとびっくり。

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肝心の音楽のやりとりは、同じ曲でも回を重ねるごとに深まっていったり、踏み込んだやり取りでお互いにつかんでいく感覚が、音合わせの充実さを物語ってました○。

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やはり人と音楽を作るのは楽しい😌。その上、音楽を作る上で空間の重要性がかなり身に染みました。ホールは言うまでもなく贅沢な空間ですが、弥吉のような空間もそれ以上に贅沢です。そしてどちらの場所でも音楽を奏でる豊かさに溢れていて、自然にも恵まれている余呉に住みながら、家族と音楽とその感性を磨いているあゆこさん。間違いなく音樂人として生きています。

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たくさんのものを頂きました。次回楽しみです🍵

20200919|越境者としてのこころえ

今年の冬12月のはじめに、延岡出身の絵を描く人 堀川智美さんとの企画を神戸にて予定しています。この企画をありきたりな言葉で表現するとすれば、「今までの集大成」であったり「ジャンルを越えた作品づくり」であったりするかも知れないですが、そんなものは建前。本音は〈弱さを確かめる〉企画です。

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今日1日の大半はその企画の打ち合わせをして過ごしました。打ち合わせのスタイルは人それぞれで、大概は神戸以外になることが多いのですが、今日は珍しく神戸。しかも歩いていける距離なのが新鮮。その時間に何をしているかと言うと、カフェインかアルコールを摂取しながら大事な内容だけやり取りしてサクッと終わることもあれば、5%くらい真剣な話で95%くらい(無駄ではない)無駄話といった具合もあり、これもまた人それぞれです。

そういえばここ数日は、「勇気」と「臆病」の話を読んでいました。「勇気」があるから強いのか、「臆病」だから弱いのか。

例えば、絵と音のように、違う形態(と思われている)アートどうしの企画は、実は交わることの少ない平行線になりがちです。それを打破するには、それぞれの境界線を越える「勇気」と真逆の「臆病」さ、そしてそれを扱う〈こころえ〉が必要になってきます。

特に自分発信の企画をしたりアートの壁を越えようとするアーティストたちの多くに課せられるのは、「水の無いところに水を引く」仕事です。そうなると当然、今までには無いことだから、その枠や境界線を越えていく「勇気」が必要となります。いや寧ろ話は逆で、「勇気」があるから「水の無いところに水を引く」のかもしれません。

しかし、意地悪に言い換えてみると、「勇気」が無い人は「水の無いところに水を引けない」のだと思えてきます。すると「勇気」を持つことは強くて、「臆病」であることは弱いのかという問いに行き着きます。

僕はここで改めて「臆病」であることとは何なのか、考えたいと思っています。つまり、それは決して弱いのではなく、「勇気」を持つ人には見えない世界と「臆病」であることでしか齎せない何かがあると確かめたいのです。

20200917|これは、ある配達員さんが届けてくれた調律師とピアニストの往復書簡です。

とある物語の中の、とある調律師がいいました。

「ピアニストにはふたつのタイプがあるんです。冬のピアニストとその他のピアニストと。私に調律を依頼してくるピアニストの多くは前者で、彼らは時計の秒針のように細くて鋭い神経を持っています。(中略)彼らの指は常に冬の神秘に触れていて、だからこそ、彼らだけに弾きこなせる音楽があるのです。」

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これは僕の中で殿堂入りになった本の一節です。実はその昔調律師になりたかった(と言っていた)お友達の坂口麻衣子さんから紹介して頂いた本です。まいこさんは、昨年末にツアータイトルとツアーに寄せた文章を書いて頂いたのですが、彼女のアートの壁を越える才能というものは秀逸で、色んな所から色んなものをもたらしてくれる配達員さんです。

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冬と夜の関係、調律師とピアニストの関係、その発想の原点になったりするフレーズで、大のお気に入りです。

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一昨日の火曜日は、京都・桂川にあるUmore(ユーモア)にて。いつも僕が結婚式の演奏とその空気の一部を担当している場所ですが、そこにあるグランドピアノとアップライトピアノ、それぞれの調律を、夏の終わりに、調律師 鈴木優子さんにお願い致しました。

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アップライトは約2年弱、グランドは2年半ぶり。でも、そのブランクを感じさせない状態のおかげで、スムーズに調律がなされていきました。

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調律とひと口に言っても、様々なスタイルがあります。そんな調律をめぐる「誤解のようなもの」の一つに、ひとたび調律が施されれば、どんなメーカーのピアノであっても、どんな状況のピアノであっても、"あの調律された音"になると思われていることがあります。

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"あの調律された音"と言うのは、いったい何だろう?と思うわけです。それはピアノの「端正で淀みのない整理された音」をイメージするのかもしれないし、ピアノの音とはこうあって欲しいと言うある種の"願望 あるいは 期待"の現れではないかと考えます。どうやら、そこから固定概念や誤解が生まれてきたりしてそうです。少なくとも僕は、これらは調律に対する勝手な幻想だと思っています。

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ピアノは日々変化する生き物です。例えば、毎日その状態が変わると言うのに、何の考えも無しに同じ調律を何度も「施す」としたら、それはナンセンスなんだろうと思います。きっと、寧ろ変化を肯定しながら調律できたら途端に面白いことが起こるかもしれないのに、と感じてしまうでしょう。もし調律「だけ」の世界から飛び出してくるような"退屈しのぎ"の調律師なんかが現れたのなら、そこから音楽家と調律師との音づくり、音楽づくりを積み重ねていくワクワク感(優子さんはスリルと表現してました)が次々と溢れてくるでしょうし、それは音楽家・ピアニストにとっても、一緒にピアノの音を探す旅へと出かけていく、充分な理由になるでしょう。

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今や当たり前かも知れない創造力の公式のひとつに、「変化を受け入れることから始まり、その変化を楽しむ」というプロセスがあります。これは"音楽的"である最初の条件であり、この感性を持ちながら対話すること、それが調律師とピアニストがやり取りしていることだったりします。

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とある物語の中の、とある調律師がいいました。

「いや、全部、いま思いついたデタラメです。(冬の)退屈しのぎですよ」

20200909|教えて学んで

今日は大学生になった教え子と久々のご飯に行ってきました。

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実は8年前くらいから、ヴァイオリニストのれいこさんの息子さんの家庭教師をしていて(今は弟くんを見ているのですが)、れいこさんと音楽のお仕事でご一緒したことがご縁で、彼が小学校5年生の時から大学受験が終わるまでのお手伝いをさせて頂いていました。

音楽のことでは無く、勉学を教えていましたが、どちらも本質は変わらないので、音楽の感覚を伝えるのと同じように勉強も教えていきました。また、テストの点を取るだけでは面白く無いので、時には「学ぶこととはどういうことなのか」とか「自分のやりたいことをことばで表現すること」とか「なんでも効率的にやれば良いわけでは無いこと」なんかも一緒に考えてみたりしました。

今日は色んなことを話してみて、彼はもう自分の力で好きなことを追求していく力があって、勝手に自分の中で喜びを見つけることが出来ていたので、素晴らしいな〜と感じました。このコロナ下の状況で、大学にもあまり行けず、リモート環境などにも慣れなくてはいけなかったでしょうが、そんな中でも大学の成績はトップで、バイトも趣味もおまけに彼女とのデートまで充実し過ぎてる彼を見てると、逆にこちらがたくさん希望を頂きました。ありがとう〜。

プライベートレッスンとはいえ、7〜8年間も人生のお手伝いをできる機会はそう無いですし、その責任もずっしりあるので、彼がこれからどんな道を歩むのかを静かに見守りながら、また同志として社会で重要な仕事をできたらいいなと密かに思ってます😌

(写真や記載については許可を頂いております)

20200906

最近、アートに対する僕の考えをお伝えする機会が色々とありましたので、少しだけ書いときます。

前提として、いまこそアート活動が大事な時だから応援したいということ自体が、本当に尊い…ことであるということを記しておきます。

そこで必ず出てくるのが「文化は必要だ」「欧州に比べて日本は芸術やアーティストが大事にされていない」と言うお決まりフレーズ。まずは確かにそうだ、酷いことになっていると。でも、そこを出発点に設定してしまって大丈夫ですか?日本でアートを理解できない人はそんなにたくさんいますか?じゃあ、あなたは芸術やアーティストが本当にいつも不可欠だと実感できていますか?

疑わしい所です。芸術は非日常である一方で日常的なものでもあります。人間の感性を育てると言いながら、分断を産むきっかけや人を傷つける手助けもします。善と悪、必要と不必要…2つに分けて考えることのいき着く先は、結局2つに分けることになります。

僕は、仕組みを作りたいと思っている側もアーティスト側も、この出発点から議論をするのはそろそろ限界だと思っているので、2つの間にはグラデーションがあり、交流もあり得ること、どちらもごちゃ混ぜで考えることからスタートすることで、今の時代に合った議論ができると思います。