20200917|これは、ある配達員さんが届けてくれた調律師とピアニストの往復書簡です。

とある物語の中の、とある調律師がいいました。

「ピアニストにはふたつのタイプがあるんです。冬のピアニストとその他のピアニストと。私に調律を依頼してくるピアニストの多くは前者で、彼らは時計の秒針のように細くて鋭い神経を持っています。(中略)彼らの指は常に冬の神秘に触れていて、だからこそ、彼らだけに弾きこなせる音楽があるのです。」

******************************************

これは僕の中で殿堂入りになった本の一節です。実はその昔調律師になりたかった(と言っていた)お友達の坂口麻衣子さんから紹介して頂いた本です。まいこさんは、昨年末にツアータイトルとツアーに寄せた文章を書いて頂いたのですが、彼女のアートの壁を越える才能というものは秀逸で、色んな所から色んなものをもたらしてくれる配達員さんです。

f:id:naoyuki0730:20200917124820j:image

冬と夜の関係、調律師とピアニストの関係、その発想の原点になったりするフレーズで、大のお気に入りです。

f:id:naoyuki0730:20200917124825j:image

一昨日の火曜日は、京都・桂川にあるUmore(ユーモア)にて。いつも僕が結婚式の演奏とその空気の一部を担当している場所ですが、そこにあるグランドピアノとアップライトピアノ、それぞれの調律を、夏の終わりに、調律師 鈴木優子さんにお願い致しました。

f:id:naoyuki0730:20200917124849j:image

アップライトは約2年弱、グランドは2年半ぶり。でも、そのブランクを感じさせない状態のおかげで、スムーズに調律がなされていきました。

f:id:naoyuki0730:20200917124900j:image

調律とひと口に言っても、様々なスタイルがあります。そんな調律をめぐる「誤解のようなもの」の一つに、ひとたび調律が施されれば、どんなメーカーのピアノであっても、どんな状況のピアノであっても、"あの調律された音"になると思われていることがあります。

f:id:naoyuki0730:20200917124910j:image

"あの調律された音"と言うのは、いったい何だろう?と思うわけです。それはピアノの「端正で淀みのない整理された音」をイメージするのかもしれないし、ピアノの音とはこうあって欲しいと言うある種の"願望 あるいは 期待"の現れではないかと考えます。どうやら、そこから固定概念や誤解が生まれてきたりしてそうです。少なくとも僕は、これらは調律に対する勝手な幻想だと思っています。

 f:id:naoyuki0730:20200917124919j:image

ピアノは日々変化する生き物です。例えば、毎日その状態が変わると言うのに、何の考えも無しに同じ調律を何度も「施す」としたら、それはナンセンスなんだろうと思います。きっと、寧ろ変化を肯定しながら調律できたら途端に面白いことが起こるかもしれないのに、と感じてしまうでしょう。もし調律「だけ」の世界から飛び出してくるような"退屈しのぎ"の調律師なんかが現れたのなら、そこから音楽家と調律師との音づくり、音楽づくりを積み重ねていくワクワク感(優子さんはスリルと表現してました)が次々と溢れてくるでしょうし、それは音楽家・ピアニストにとっても、一緒にピアノの音を探す旅へと出かけていく、充分な理由になるでしょう。

f:id:naoyuki0730:20200917124929j:image

今や当たり前かも知れない創造力の公式のひとつに、「変化を受け入れることから始まり、その変化を楽しむ」というプロセスがあります。これは"音楽的"である最初の条件であり、この感性を持ちながら対話すること、それが調律師とピアニストがやり取りしていることだったりします。

f:id:naoyuki0730:20200917124939j:image

******************************************

とある物語の中の、とある調律師がいいました。

「いや、全部、いま思いついたデタラメです。(冬の)退屈しのぎですよ」