台湾雑記②(長文) - 青い鳥は、強い意志と深い智慧を携えながら、枸櫞の香りがする椛へと。

台湾訪問を終えて、整理することをつらつらと。

今回の旅は3泊4日でしたが、移動も挟むと実質2日くらいで、現地の案内人もなく、もらった貴重な情報を元に自分で調べて、broken Englishでライブ交渉までできたのはかなり収穫と自信になりました。自身の言葉で音楽を説明して、実際に弾いて、自分の足で情報を稼ぐことは、日本でやり続けていることでもあり、その経験が生きました。

キッカケは、日本で主にギャラリー関係から知り合った山中さんが今回台湾で企画をするということと、彼女と縁のある櫞椛文庫の林さんが、You Tubeで僕の音楽をかなり気に入ってファンになって下さり、台湾での演奏企画が持ち上がったため、それなら直接行って話をしようと思い立ったことでした。前にポーランド人から、僕の音楽が好きだとメッセージをもらったときも今回も、国を越えて音楽を奏でられることがどれだけ嬉しいことかと思うと同時に、音楽を勉強して良かったなと純粋に思います。

林さんは、日本の音大の大学院に合格した経歴を持ち(オーボエが専門であったようです)、商社で日常的に日本語でビジネスをしていたようで、詩の意訳ができるほど日本語が堪能です。そこから紆余曲折あってアートスペースの館長をされているようで、彼と話をしているとオーケストラをはじめとする生音に対する認識やピアノを大事に扱うこと、そして今のアートシーンに共通する課題を共有しているとわかり、国を越えて共に歩んでいける人だと感じています。

個人的にはなりますが、音楽的な整理からも見えてくるものもありました。今僕はご縁があって鹿児島のプロジェクトで校歌や民謡に触れる機会が多く、先週のレコーディングでは木曽節にも向き合えました。大きな視点で見ると、その鹿児島から奄美、沖縄、台湾、タイやインドネシアにいたる東(南)アジアのペンタトニック圏があり、ここに「アジアの中の日本という意識から発するメロディが含まれているのではないか?」と考古学的な取り組みをしているところなんですが(アジアっぽい音楽を作りたいわけじゃない)、一方でハーモニーやリズムはどうしても西洋の感覚(ここは現代音楽を含むクラシックもジャズも)で整理されたものが多くて、それを時代に合わせて先に進めていく作業をしている感覚があります。今回は台湾の音楽シーン(ポップス、ロックやノイズを含む即興など)やミュージシャン(現地のミュージシャンとタイミングが合わず;)に触れるところまではいけませんでしたが、次回は台湾のsongも含めて、『いま』を感じられたらイイな◎

また色んなピアノを触りましたが、状態の良し悪しに関わらず、豪華なピアノが多かったです。でもその能力を引き出されていないピアノが多く、自費で借りると会場費もかさみそうな場所に置かれていたり、眠ったままでいるのは勿体無いですね。また、青鳥居所さんのピアノのようにオープンな場にはあるけれど壊れているため、誰も弾かせてくれとは言わないのでしょうか、かなり珍しがられたのですが…。お洒落さを優先して、ピアノを大事にしていないのではないかという現地の貴重な意見も聴きました。

乱暴な整理であることを断っておきますが、今の時代にアートに携わる命題の1つに、「お洒落であること と 内容的に深いこと のバランス」というものがあります。これは率直に日本でも台湾でも同じ状況である一方で、台湾の方がそのバランスは日本よりは「心地良い」ものだと感じました。

僕はこのバランスに関して、台湾から学ぶところがたくさんあると思うし、あとはどれだけ純粋でいられるかが鍵だと思っています。キレイなものだけで世界は作れない。けれど暴力で世界も作れない。美しさと破壊が問うものは、まさにここです。

意識的なアーティストは、その狭間を意識していて、必要以上にどちらが優位であるかを言わない or 言葉を変えて、表面的に陥りやすい罠を回避している、と感じます。その罠を掻い潜るためには、過去の作品や歴史からアートの現在地と行く末を見失わない『羅針盤』を持ち、それ乗り越えていくというタフな『意志』と『智慧』が必要だと改めて思いました。

台湾で出逢った青い鳥が、その意志と智慧を携えて、この枸櫞の香りがする椛へと運んで来てくれたように感じてならない、最後はそんな気持ちでした。