20210402|引用のはなし

今週は、仕事以外の時間を使って、朝〜昼は練習と作曲、夜はアレンジや映像の編集をしていました。日によって異なりますが、だいたいが創作には午前中が向いていて、夜は編集作業がうまくいく感じです。

最近は那須さんとの対談から意識的に文を綴ることもしていて、自分がよく文章の中で引用をすることにも気付きました。それは本の中の一節でも、リアルタイムに録音で残したフランクな言葉であっても、その差はありません。僕が心掛けているのは、誰が発した言葉なのかを明確にすることと、それをさらに自分の言葉で語り直すことです。

そう言えば、先日友人との何気ない会話の中で、「どこで自分のアイデアを盗まれたと感じるのか」という繊細なテーマについて話しました。

音楽のエキソサイズの一つに「ものまね」があります。例えば、キースジャレット風のピアノプレイとか、久石譲風のアレンジとか。色んなアーティストのものまねを通して、自分のオリジナリティを発見していく練習です。実はこれらはコービーブライアントの動きを真似してプレイしたり、ジダンやエムバペに憧れて足技やオフザボールの仕方を真似したりするスポーツの世界と同じ感覚です。

でもいくら真似をしたところで決して本人たちに届きはしないと感じてしまった場合、少しでもその高みに近づこうとするのならば、それは“身体への透し方”が鍵を握ることになります。

どんな本質の学び方をして、どのようなリスペクトを払うのか。ただただスーッと自分の中を通すだけでは何も残らないのは明らかで、那須さんが仰る通り、やっぱり捻くれていることがとても重要です。

そして、それが開かれていること。つまり、自分の口で語る=表現することに繋がっていく。そうすれば、少なくとも盗まれたと感じることはなくなる気がします。