20210327|今日のめも

日は、神戸に来た時からずっと通っているバーバーへ。16年くらい通い続けていますが、いつも店長(筋肉の付け方を聞きたいがために、わざわざ髪を切りに各地から人がってくるくらいムキムキな山田さん)が担当して下さって、「最近どう?」的な会話から始まります。

美容師の世界は、流行や日常生活と隣り合わせにあるので、新しい風や人の何気なく考えていることに敏感です。最近では、僕が子供のころに体験していた昔ながらの理髪店の空気を感じることは少なくなりましたし、コロナ禍でも日々工夫して営業しているなぁと思っていました。

そんな折に、ふと音楽の世界に戻ったとき、色々と考えることが出てきます。例えば今の時代にあった音楽活動のスタイルや音楽を教えたり学んだりする事に関して、ぼく個人的には、リスナーも含めた音楽に関わる人の多くが、昔ながらの範疇からなかなか抜け出せなくて、かなり時代遅れだなと感じます。CDへの認識もそうだと思いますし、そもそもの音楽への関わり方が、まるでそうデザインされているかのようにも感じます。

僕の大学院時代の先生である若尾先生は、最近の記事で、音楽は「ほかの高等教育分野と比べてどうみてもカリキュラムデザインが遅れているとしか思えない」と書いていましたが、初等教育も含めた音楽教育全般で同じ状況ではないかと感じていますし、根本にある「音楽がどこにあるか」と「聴くこと」への誤解を解いていくことが大事なんだと感じます。

これは勿論どの分野でもあることのなのでしょうが、特に音楽まわりについては、内外からの刺激とそれをどれだけ笑って伝えられるのか、どのような伝え方をするのかが肝要なんだなと思います。