過去⇆未来

SNSはご無沙汰になります。
夏は制作中心だったのでライブはありませんでしたが、その間バタバタバタと活動しております。何だかんだ忙しくなり、言葉にすることも振り返ることもままならない状態なのですが、僕にとっては大きな事がありました。

2019年から音楽対談をしていた哲学者 那須耕介さんが先月ご逝去されました。

那須さんは法哲学を学ぶ人の中では知らない人がまずいないと言われる存在で、恐れずに言えば"開かれた厄介者"でした。

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那須さんとは、対談を通して主に2つの協働作業をしていました。ひとつは僕らの考える音楽へのまなざしを形にすることです。音楽に対しては、那須さんと共通する見解が多く、聴くことについての話から教えることと学ぶことの話、ことばと批評、音楽そのものについて、自由についての話など対談の中だけでも多岐に渡っています。文字通り、手ぶらでテーマを決めずに即興で話をすることもあれば、僕の考える音楽の話をぶつけてみたり、肩苦しく無い"音楽の考え方"に手を掛けようとしたりしていました。個人的には、この話を作品にする企画として"冬樂奏"を始めたり、"音染音樂"という名前で音楽について考え始めました。

もうひとつは、那須さんの人生にとっての音楽を記録することでした。一緒に対談を進めていた伴さんは、哲学者 鶴見俊輔さんとの懇意を始め、法哲学の分野でのお仕事を「ハレ」とするなら、僕らは「ケ」の交流をしていたのだと仰っていたことが印象に残っています。確かに法の世界にいる那須さんやその周りの方にとって、那須さんと音楽の関係は「ケ」の世界の話をであり、「ハレ」の世界を支えていた"日常"だったのかもしれません。しかし、やりとりを通じて、那須さんにとって音楽とは言葉と付き合う上での原点でもあり、未来でもあったのではないかと感じざるを得ません。そして、そのお相手として一緒に時間を共有してくださったことに尊さしかありません。

あまりこういう場で書くことは乗り気でないのですが、那須さんの言葉を待っていらっしゃる方の為にも、先に進めるためにも書いておこうと思いましたし、過去に記録したものを未来への記憶として作品に残すことが僕の仕事の一つとなりました。

それゆえ、那須さんの数々の言葉は、もちろん僕の中に生きているけれど、其れを自分の中で棲まわすには、あまりにも大きいもの。それほど、僕の中で那須さんとの対話は心の拠り所になっていたこと、そしてやりきれない喪失感に支配されてしまった最近です。

その影響で感情のようなものがぐちゃぐちゃに掻き混ぜられてしまい、うまく行かずにご迷惑をお掛けした方もいらっしゃいましたし、進められずにいるプロジェクトもたくさんありましたので、これから少しずつ動かしていきたいと思います。

words:日吉直行
photograhy:伴智一