20210902|心のサードプレイス

久しぶりのSNSログインです。f:id:naoyuki0730:20210902190630j:image僕は特段リアルでもネットでも気分は変わらないのですが、定期的に離れたくなる気持ちが働くのはネット空間のようでして、いまは主に整理をする目的で使っているため、気まぐれに投稿することが多くなってます。

そういえば、「サードプレイス」という言葉をよく聞くようになりました。自宅と職場以外の場所、つまり「第3の居心地の良い場所」を指す言葉で、僕のような自宅と仕事場の境目がないスタイルの人間にとっては、物理的なサードプレイスよりも心理的なサードプレイスの方が重要になってきます。

この1か月は、「教える」仕事でスケジュールが埋まった月でした。かれこれ16年ほど主に在野で、音楽、そして音楽に限らず古文などの学校の科目についても教えていたりするのですが、これまでに、ピアノや即興のこと・音楽の考え方を広げたい・”音楽そのもの” について学びたいという人や小学生から受験生・社会人の方に対して、”学び方” というのを教えてきています。

最近は対面とオンラインを組み合わせながら仕事をしているので、場所に縛られることも少なくなった一方、時間だけは変わらず、寧ろ効率的にスケジュールが埋まってしまうので、心理的な圧迫を感じていました。対して音楽をする・音楽について考えを深めるには、数値では測ることのできない時間が必要になってきます。音楽と人生が一致すればするほど、ここの相性がかなり悪いのです。オンラインでの仕事ややり取りを通して分かってきたのは、実はこの相性の悪さを埋めることの重要性でした。

音楽を考えることは実はとても簡単なことです。楽器を弾いていても、歌っていても、曲を作っていても、教えていても、なんなら会話しているだけでも、誰にでも音楽を考えることができます。でも考えるために、僕らは必ず「寄り道」しながら「遊ぶ」ことで深めていきます。それが自分の人生にとって栄養となることを、音楽が教えてくれます。

これらはすべて自分の中で起こっているハプニングであり、その生き方に大きく作用します。対談している法哲学者の那須さんは、サードプレイスのことを「逃げ場所」と表現しました。そう、しんどくなったら逃げ込めばいいんだ。誰とも連絡を取らない時間がある方がいい。スッキリしたら、また戻ってくればいい。

効率さを求める話の先にあるのは、非効率さの大切さでした。

無用の用ですね。

words:日吉直行
photograhy:伴智一