冬樂奏

さて、新しい企画『冬樂奏』がはじまります。「とうがくそう」と読みます。

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― 季節の冬ではない、<冬>の音楽 ―

幸いなことに、深くお付き合いのある方々は僕の音楽を「ありそうでなかった音楽」と形容してくださったり、これまで「即興と作曲の境を漂いながら」ピアノを奏で、曲を創り、いろいろなアーティストと創作活動をしてきました。その範囲は、人前でのパフォーマンスだけでなく、音楽について考える活動にまで広がり、特に「ジャンルに倚りかからない音楽」や「これから音楽とどう付き合っていくのか」について眼差しを向けてきました。元々これらのことは、コロナウイルスがやって来ようが来まいが関係なく考えていた話なのですが、必然的に彼らの存在によって背中を押され、この冬を迎えています。

これからどんな風に仕事を得て、どんな風に生活していくのか。この冬の間だけでも、変化を感じることだろうと思います。そして、社会や日常の変化と天秤のように関係し合い、その果たす役割がさらに重要になっていくと眺めているものの一つが音楽です。やはりそういう目線で音楽と付き合い、学び、携わっている者として、これまで以上に僕なりの音楽との付き合い方を表現していこうと思い至りました。

そういえば、僕の音楽は「冬に聴きたくなる」と言われたことがあります。ずっと腑に落ちなかった言葉です。ここに至るまで、どんな音楽を奏でたいのだろう?と繰り返し自問自答する度に、この「冬」への興味が日に日に湧いてきていました。

あれこれ思案を巡らしていくうちに、自分の中に ”情のような何か” の存在があることに気付きました。これは目には見えないけれど、「嬉しい」や「悲しい」といった感情の先にあることはわかっています。さらに、どうやら音楽の最深部を居場所にしているかもしれない気配を持っていて、なおかつ音楽だけではない「表現する」という行為の中心にいつも存在しているらしい。そう考えると、途端に厄介なものだなぁと思えてきます。しかし、考えや想いが整理されてくるにつれて、ふつふつと、『それらの居場所を音楽で表現してみたい』、『僕らの”気持ちの置き所”をこの音楽を通して考えてみたい』と思うようになりました。

そこで、僕は”情のような何か” を<冬>に準えることにしました。つまり、これは季節を表す「冬」のことではない。これから僕らが表現していくのは、心の中にある<冬>なのです。

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― 冬樂奏 前夜 ―

自らの手で音を奏で、手を汚しながら絵を描き、生きた言葉を紡いで、そして自ら企画して…。それらは全て<冬の音楽>から出発し、音を表現する「物語から飛び出してきた人たち」を通じて、その先の受け取り手へと”響いていく”。その気配と空気が感じられることを期待しています。

また、自分の手を動かしながら生み出すゆえの強さを実感する機会にもなり得るし、対局にあるようなテクノロジーやそれを扱う身体的な経験からくる面白さとの重なりは、アナログな手作り好きにも、ネイティブなデジタル世代にも、新鮮に映るのではないかと思います。

甘ったるい懐かしさとも違う、「手(耳)触りのある音を届ける」感覚を、僕らの心も手も”忘れることのない”ように願っています。

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[物語から飛び出してきた人たち]
冬のピアニスト:日吉直行(ピアノ)
青の人:堀川智美(白の作品)
音を運ぶ宇宙船号の技師:五島昭彦(録音 / Time Machine Record)
調律:鈴木優子
監修:福田幸太郎
デザイン:山下麻里
小さなお届け物:御厨かの
星の珈琲:FUSHI COFFEE ROASTERS
写真:伴智一
映像スイッチャー:小倉直也
ご協力:坂口麻衣子、山内建佑

[企画・制作]
瞑奏録音 / Meisou Record