いま本は売れない時代だとききました。
「本を読む」と言うと勉強するみたいでちょっと
本を読むのは好きだけど選び方が分からない
そこから本に関わる企画や場所には、
触れたことがないから行かない
知らないから行かない
となるようです。
でも、これは本に限ったことではなく、音楽の現状とも一緒です。このスパイラルって、自分で自分の首を絞めているようなもので、「コンテンツで閉ざす」とも言うそうです。
では音楽を聴くのに、みんな何を求めて来ているんだろうか?
例えば、「音楽の知識がある=音楽の価値がある」と言うような音楽の理論やテクニカルな聴き方や見方をしちゃうとつい比較論になってしまい上手い下手の狭い世界で音楽を聴いてしまう(未だに僕もその魔の手が襲い掛かるのが怖い時がある)のですが、不必要に大きな音で演奏したり、意味もなく音楽は「音を楽しむものだ」というような標語を勝手に掲げられたりしちゃうと、それはそれで感情論の押し付けのようで嫌になっちゃいます。
じゃあ単刀直入に音楽の聴き方ってなんなんだ?
と迫ってこられると、答えに窮してしまうかもしれないし、音楽を楽しむどころか苦しんでしまうことになってしまって、ミュージシャン側にもリスナー側にも「おんがくばなれ」を生んでしまう結果になるんだと思います。
こういう凝り固まった聴き方たちを解せたらいいなと常々思っているんですが、その一歩となるのが「触れる」「遊ぶ」と言う感覚です。最初のその瞬間は、知識も感情もない、五感だけの感覚で、誰のものでもありません。
touch my heart と言うと 感動する
play on the ground と言うと 遊ぶ
触れるだけでいい、遊ぶだけでいい。
すごい簡単で基本なのに、音楽の場合はそれをするのが難しいとはどういうことなんだ?と思ってしまいますが、この感覚が「音楽に触れる時」「音楽を聴く時」に生かされるとき、「おんがくばなれ」が止まるんじゃないかと思います。
今回の企画ではアート作品のような絵本の選書をしていただきましたが、様々な「本の在り方」を考えているけいぶん社さんや麻衣子さんから、「僕の音楽は、音楽の知識が無くても楽しめる、ただ触れるだけで話が広がるような音楽だ」と言ってもらえたのが、考えていることをまさに汲み取ってもらったと思えて、ここに書きたくなるほど嬉しくて嬉しくて。
ライブには同級生の家族も来られてて最後まで聴いてくださいました。ライブ後に、僕のことをぴよしと呼んでる娘さん(彼女は天才的)が家族に「きょう(のライブ)はどうだった?」って聞かれたそう。すると「ぴよしがたのしそうだった」って言ってたみたいです。参りました。