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感情の不感症

音楽について考える

先週、音楽家の谷川賢作さんとタイムマシンレコードの五島さんと朝までお話をする機会がありました。

その時のテーマのひとつに「羨望と嫉妬と自己愛」というものがありました。僕の中にはどの感情も薄い or 意識が低い、というのが正直なところで、もしかしたら潜在的に押し込めてしまっているのかもしれない。
お酒が入ってよくわからなかったので、自分のなかではポジティブとネガティブの身近な対立構図で考えてみましたが、2つの価値観は対立ではなく、歯車の両輪のようなものだと思えてきました。

身近な経験でも、「みんな健康的でポジティブである」ことを求めすぎてるのはよく感じる。ネガティブであることを極端に嫌う。それは人間的な付き合いにおいて、相手を批判することはある意味タブーで、それをしてしまうと「アイツは良くない」と敬遠されてしまう。

自分が音楽に携わる仕事をしているので、音楽の話になりますが、、
音楽的なやり取りにおいても、「音楽=音を楽しむもの」といったキャッチフレーズのもとにすべてが判断されて、音楽の持つ社会への批判性や極端な例だけれど、音楽が戦争の道具に使われた歴史なんかさえも「見て見ぬふり」にされてしまう。でも、かといって否定的な側面ばかりをクローズアップして「みんな不健康的でネガティブである」というのも行き過ぎた話だなとも思う。

賢作さんが話題に挙げてた「コンビニ人間」はよく考えてみたら結構心当たりがある。「過度に反応しない」「どちらとものいいとこ取り」は一見話をまとめたように見えて、逆説的に自己防衛になってしまって、解決を先延ばしにしているだけではないかと思う。(解決なんてしなくていいじゃんてのも自己防衛で無責任なんだよなぁ)

体験したことのある話だと、一緒に演奏して何にも言わずに「良かった」という人と「だめだ、君は周りの音を聴いていない(もしくは君は周りの音を聴きすぎている)」という人がいて、後者は一見批判的な言葉を使っているようで、音作りや時間の流れにその人自身がよいと思っている価値観がはっきりしている。けれど前者はそれを見せないところに無責任さが垣間見えたりする。

今の時代はその前者がよしとされる空気があって、僕の中では、その行き着く先に「感情の不感症」というものがあると思う。これは一種の音楽家症候群で、「何も感じない」「何も起こさない」そういう姿勢に繋がっているし、非生産的な演奏や作品を生み出すきっかけになってしまっていると思う。

音楽に携わる仕事を少しでもする側だからこそ、音楽のネガティブな面や悪い部分をよく知り、音に深く意識的になることで、「響く音(感動しようがしまいが)」を届けられるのだと思う。